記録することの内側には私が存在する。
記録するってことは、つまり自分を肯定することだと思う。
だって、態々紙に記すぐらいは価値があるってことの証明なのだもん。
自分の小さな小さな一歩を肯定できないときに、人間は危ういと思うな。
少なくとも私はそうだ。総体的な機構内部での成果よりも、もっと実直な生命的側面の方が嬉しい。自分の考え方の変遷・継続が分かると楽しい。
今日はミートソースを作ってみた。料理は余り得意ではないのだけれど……。
ご飯を食べるっていう人間の根源的欲求は大切にしたいと思う。
「美味しいものを食べたい。」と思えることが其の儘幸せだ。だから時々は、手間を掛けて料理を作る日があってもいいと思う。
……駄目かな?