懐かしくて色褪せないもの

世界が平和であればいいね

言いたいことは山程あって

◦車の免許を取ってから、何時の間にか一年ぐらい経っている…。

普通だったら「時が経つのは早いな~。」とか頬杖ついて呟くのでしょうか?でも昔読んだ本に”時間は人間が其れを過ごして後に振り返ってみて初めて存在するのである…”とか云々かんぬん書いてありました。つまり過去の出来事を思い返した時に人間は時間の経過を感じるのです。

だから何というか尺度が間違っているというか、時間は私の後ろに在るべきものなのですから、私に比べて遅く感じて当たり前だと思うのです。自分より遅いものが時間である、と「定義」の裡に既に含まれてしまっている気がします。

其のことを思いついてから嘆くのは止めました。

 

車の運転は滅茶苦茶下手で、バックで駐車するのとか怖いんですが、今日は不思議と一回で停めれました。

自分でも意識してないうちに、日々進歩しているものなんですね。自分でも気付かない部分できっと何か成長しているんだなと少し嬉しく思いました。

 

ただ恐ろしいことに、私は運転免許をとってから一年で、2度事故を起こしています。両方とも壁に車体を擦ったのです。ぼさっとしているのが原因です。

ただ反対に時々こうも考えてみます。現代の社会速度自体が人間の認識範囲を凌駕していると。少し触れただけで生命が絶えてしまうような致死性の機械を蹂躙しているなんて、我々は少々気が狂っているのかもしれません。なんていうのは大袈裟な自己欺瞞なんですが、それでももう少し可塑性があってもいいのかなとは思います。

ファイナル・デスティネーション』という映画があるんですが、この映画も機械の危険性を説いた映画です。私はそう捉えています。日常生活の中で、人々が機械のちょっとした不備に巻き込まれ命を落とすのです。恐ろしすぎて私は見ないことに決めています。だから知っているのは筋だけです。

例えば、私が此処で右手を上下させていて、誰かがこの手に触れたとしても怪我なんてしないと思うんです。でも機械に指を挟んだら大事故になります。如何に機械が猛烈に酷使されているかが分かると思います。累乗的に付加されたスピード!!!

 

”速い”よりは”遅い”方が良いと思うんです。+α本人の知らない内の成長ということに希望を託して。