其の最後の一節でも私は忘れてはならないと思うのです。
………
わたしは生き残った広島の証人として
どこへ行っても証言します。
そして「もう戦争はやめよう」と
いのちをこめて歌います。
………
此のいのちをこめてと何故綴れるのでしょうか?
こころをこめて、でないんですね。いのちをこめてなんですね。
私はこの詩を読むと此の一行でいつでもハッと生鮮に立ち返って、驚きます。
其れは私の内部が其れ程に成熟し醸造して……いないからです。
この詩の文面の裏に一体幾つの時代の変遷があるのでしょうか?
其れを知らないということは若しかしたら幸福なことなのかもしれません。
あるいは