懐かしくて色褪せないもの

世界が平和であればいいね

不完全な儘でありたい

足りていないこと、欠けていること、などなど欠如によって此の世界は補完されている部分が大きいと思う。

”欠如”と”充足”は善悪論の対比ではなくて、其れ等はただ均一に存在するだけのものだ。

 今現在の主流を見ていると、此の”欠如”を満たそうという流れが一般的だそうだけれど、”欠如”は”欠如”の儘で十分魅力的ではないだろうか?

 自身が欠けているということを人間全体で認めたい。至ってneutralな意味で。

 昔、小林秀雄さんが「現代の人間は、迷ったり、悩んだり、悟ったりをあまりしなくなった……。」というお話をされていた。「迷ったり、悩んだり、」というのは此の人間の”欠如”だと思う。

 ”欠如”は”充足”される予定なんて当面なく、何故なら充足される”欠如”であれば其処には最早葛藤を生じないからである。つまり”欠如”は徹底的にその瞬間は手も足も出ない状況なのである。しかし、曖昧で不明瞭で不合理的な、この問題が私は非常に人間的だと思う。其れは人間がとても感情的で情味に溢れるからこそ起こる問題なのだ。

 

 

何だか論理でなく感傷ばかりで書いてしまいました。いつものことなんですけれど…。