懐かしくて色褪せないもの

世界が平和であればいいね

電話広告と其れを中々切れない日々

 

 

電話恐怖症でもないですが…電話が急に鳴るとビクッとしますよね?だから身体的にあんまり好ましいものでもないのですけれど。其れでも頑張って電話に出ます。

 

今日は朝に2回電話が掛かってきて、2回とも広告の電話でした。廃品回収の電話で「何かいらないものはありませんか~~」と訊かれました。「ないですよ~~」って私は言うんですが、「じゃあ電化製品は?」,「書籍は?」,「お酒は?」と話の穂の継ぎ方が華麗なのでした。きっととても精神力が強く朗らかな人なのだと思います。

そして中々電話が切れない私は、良心というよりも人から悪く思われたくない”自分可愛さ”なのだろうな~と受話器を片手に考えていました。でも普通に人の声を聴く楽しさもあるのです。2割くらいですかね。ちょこっとですけど…。

 

電話交換手は素敵な職業です。?どうかな?伊藤整『或る詩人の肖像』にて、教師の職に就いた二人が無聊を慰めるために、毎日?電話でギターを聞かせ合うんですね。ある時、落ち込んで「ギターを弾くのはやめようか…」と電話で話していたら、何処からか笑い声が聞こえてきて…「いつもの演奏会はないんですか…?」と。電話交換手の人々にとっては深夜受話器から流れてくるギターの音色がいい気晴らしになったのかもしれません。

 

何だか凄く人間味がありますよね。smartでない情味に溢れた楽しさがあると思います。

 

百科事典で『電話交換手』を引いてみます。

と思ったんですが、出てきたのは「槓桿」と「黄禍論」でした。

「槓桿」→梃子のこと

「黄禍論」→日清戦争末期ごろ唱えられた,オスマン・トルコや蒙古のように黄色人種の勃興はヨーロッパ諸国にとって良くない結果をもたらすという考え方 

 

斯うして、今日の日々も経っていくのでした。