懐かしくて色褪せないもの

世界が平和であればいいね

サルトル『実存主義とは何か』

ただでさえ億劫なのに……。

 

 

 どちらかと言えば考え込んでしまうタイプの私が、”行動主義”を見出した著作、其れはサルトルの『実存主義とは何か』です。実存主義なんて知らないよ、という前に抑々私自身知らないのですから。たった百四十四ページに過ぎない鴻毛のように軽い書籍です。

 

 よくもまあこんな薄っぺらい冊子に此れ程のエネルギーを込めたもんだな…と。ごめんなさい。本当に好きな本の一冊なんです。

 

 多分実存主義とは、自分の”生命存在”?其の物に意義を与える価値観なんです。例えば、私が今右手で紅茶の入ったカップを持ち上げて、唇へ傾けて紅茶を飲んだという一連の行為について考えます。通常ならば、”私は紅茶を飲みたいと思った”⇒”カップを持ち上げた”という順序で捉えると思います。つまり、最初に思考があって、次に連関した動作が惹起されるという視点です。

 しかし反対に、実存主義?の場合はもっと大雑把に短絡的に捉えます。要は”カップを持ち上げた”⇒”私は紅茶を飲みたいと思った”の順番です。つまり何が言いたいかというと、カップを持ち上げるという行動を起こしたことで、私が紅茶を飲みたいということが実証されたのだ、という立場なのです。行動と思考は同時に起こります。私は好きだから文章を書いているのではなくて、文章を書いているから書くことが好きなのです。

 理由付けって結構後からも自分を納得させるために拵えることが可能じゃないですか?ダイエットをしている女性が、今日は疲れたからいいかって言っててケーキを食べるみたいな…。疲労を言い訳にしているけれど、結局其れは本人の自由意思による決断ですよね。

人間は自由性の中から全く任意に行為を選択して、其の「行動」によってのみ人間の人生は決定される筈です。「お金がないよな~」「時間がないよな~」という状況よりも本人が其れを言い訳にしてしたくないと願うからしないのです。(本当かな?)

 

 だから実存性の本質は自由です。今この瞬間に私には全くの自由性が与えられています。そして此の真っ新な地平に自分の行動を打ち立てていくことによってのみ、自我は確立されるのです。

 

 

 

 私が初めて『実存主義とは何か』を読んだのは、お風呂のお湯に浸かりながらでした。衝撃を受けて思わず風呂場から飛び出ました。   

 何かができる気がしました。

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